株式会社ピーアールセンター 営業局 土谷俊祐 「アナログについて」

18歳で上京したとき、最初に行きたかったのは西新宿のレコード屋だった。それまでは雑誌でしか見たことがないレコードが欲しく、空港からその足で向かった。レコード独特のカビ臭さが蔓延する暗い店内に、レコードがぎっしりと並んでいた。当時はまだぎこちない手つき(今は引くほど速い)で、指先でパラパラとめくっていく。ジャケットを見て、値段を見てまた戻して、また取り出す。
最初に感動したのはジャケットの大きさだった。雑誌の中で2センチ四方程度だったジャケットが、目の前に30センチ四方で現れた時には本当に感動した。
正直なところ、あの頃も今も「アナログの音の深み」なんかはよく分かっていない。
サブスクで何億曲も聴ける時代に、なぜわざわざレコードなのかをよく聞かれる。いつも答えに困る。サブスクの方が楽だし、どこでも聴けるし最高だ。レコードはかさばるし、繊細だし、何かと面倒くさい。人間もそうだが面倒くさいものこそ、ちゃんと向き合ったりする。レコードを聴くには手間がかかる。棚から盤を選んで、ジャケットから取り出して、ターンテーブルに乗せて、針を落とす。曲のスキップは出来ないし、シャッフルもできない。A面が終わったら、さっき座ったばかりの椅子からまた立ち上がって、自分の手でひっくり返しにいかなければならない。この手間が音楽と向き合う姿勢をつくったりもする。「ながら」ではできない手間が、こちらを真剣にさせるのかもしれない。
デジタルの時代は、あらゆるものを「速く」「便利に」してくれた。それはたしかに豊かさだ。でも何かを失った感覚もある。「待つ」こと、「手間をかける」こと、「探し選ぶことに時間を使う」こと。そういうわずらわしさの中にある豊かさが、じわじわと日常から消えていった気がする。レコードはまだそれを守り続けている。針がビニールの溝をなぞり、音が空気を震わせ、耳に届くまでの物理的なプロセスは、何十年前から何ひとつ変わっていない。
50手前になった今、部屋の壁はレコードで埋まり、そのうち床が抜けるのではないかと、最近は倉庫も借りた。これだけの枚数があっても、どこに何があるか把握しているのは、一枚一枚に買ったときの苦労など、その頃の自分の生活が染み込んでいるからかもしれない。
結局のところ、何が言いたいかも分からなくなってきたが、レコードをひっくり返すことを、30年間苦に思ったことがない。「面倒くさい」と言いながら、やめる気も全くない。古い物事はめんどくさいとよく言われるが、それはレコードのことか、自分のことか、たぶん両方だろう。
